季節の手仕事・味噌作り

小さい頃から手間がかかる物を作る事に興味があったので、

便利で簡単にできたりするのはそれなりにいいけど、あんまりおもろしくなかったようだ。

何をするにもずっと他の人より時間がかっていた私は、小学校の先生と両親から、「のろま」と言われていた。

なのでマクロビオティックをならいはじめた時、ていねいに時間をかけてできるマクロビオティックは自分にあっていると思った。

マクロビオティックは難しいという人が多いが、マクロビオティックでやる事は人間が健康で生きていける基本的な事なので、難しくはないが時間がかかって簡単にできない、なので便利ですぐできない。

でも何でも初めて習う事は簡単にはできないから、練習に練習を重ねてできるようになる。例えば音楽で言えば、ピアノとかスポーツならテニスとかよっぽど才能がある人以外はそんなに簡単にできるものではない。

病気になったり、臨死体験をするような車の事故で歩けないようになって、自分の生き方を考えなくては生きていけない事になって、できる事を自分なりに練習してまた練習を重ね、少しづつ元気になったり、歩けるようになって、本当にやりたいことがやっとできるようになって来ているというのが現実。

実際に、日本の昔ながら手作り作られているものや手間隙かけて作るものを少しづつ自分で作るようになれたのは、自分の生活に余裕ができてきてからで、今は10種類くらいのもの(例:味噌、柚胡椒、糠漬け、梅干し、梅酵素ジュース、梅ソース、梅ジャム、オレンジマーマレード、ラッキョウ、紅生姜、干し柿など)を毎年作れるようになっている。

味噌作りは亀タイプの私がゆっくり、新年を迎える心がまえをして

1月初めにどんな年になるかゴールを書いたりしていているうちに2月がやって来てから用意を始める。

これは丁度、味噌作りに最適の時期。

気温が低いのでゆっくりじっくり発酵させることができる事。 

寒い時期は雑菌が少ないのでカビの繁殖を抑えることもできる。 

秋に収穫されたばかりの大豆を使えることも理由のひとつ。

味噌を作ってすぐ3~6ヶ月くらいで使う人が最近は多いし、味噌会社も貯蔵する場所が必要だし時間がかかれば売り上げには時間がかかるので、すぐ売るところが多くなっている悲しい状態のようだ。

実際は2年、3年と味噌を寝かせると大豆に含まれない、もしくはあっても少量のアミノ酸やビタミン類が発酵により生成され、その栄養価を高める。大豆のたんぱく質は、酵素によって分解されて水溶化し、その一部はアミノ酸となります。そのなかには生命を維持するために不可欠な必須アミノ酸が8種類、さらにはビタミン(B1・B2・B6・B12・E・K・ナイアシン・葉酸・パントテン酸・ピオチン)、無機質(ナトリウム・カリウム・カルシウム・マグネシウム、リン・鉄・亜鉛・銅・ヨウ素・セレン・クロム・モリブデン)、一価不飽和脂肪酸、多価不飽和脂肪酸、食物繊維などの豊富な栄養素が含まれている。

味もお塩が大豆と馴染んで塩辛いとはいう味じゃなく、コクのある味、そう”旨味”になる。

なので2年から3年熟成味噌を使う事を勧めるが最近は熟成味噌はほどんど買えない、不便な時代になってしまった。

このアメリカ(ロスアンジェルス近辺)の日本マーケットにはそんな熟成味噌は売っていないので売っている味噌がどれもただ塩辛い味がする。日本に住んでいない私は日本の事はわからないがきっと日本も熟成味噌は手に入りにくいのではないかと思う。

それで私は味噌も自分で作ってみる事になったのだが、今年は2年前に作った麦味噌をとり出してみた。 香りといい、味は最高。もちろん自分が大切に2年間育てて来た味噌なので愛着もある。

この味噌は味噌炒め、味噌煮、味噌ディップ、味噌ドレッシングとその他いろんなお料理に使える。

 

 

お味噌汁をその味噌で作ったら最高に美味しかった。


味噌の量は普段より少なく使って、旨味と風味がいっぱいだった。

この味噌は味噌炒め、味噌煮、味噌ディップ、味噌ドレッシングといろんなお料理に使えます。

お味噌の効果はインターネットで調べればすぐわかりますが

・消化吸収促進ー消化器官に働きかける作用がある。

食事の最初に味噌汁の塩気をからだに取り込むと、胃腸が動きはじめ、効率よく消化吸されるようになり、からだへの負担が減るのです。

・血中コレステロール値の抑制

大豆に含まれている、大豆レシチン、大豆ペプチドには、血中コレステロールの上昇を抑制する働きがあり。

・その他にもニコチンを中和したり、ガン予防、老化防止など他たくさんの素晴らしい働きも報告されている。

味噌を作る事自体は、実はとても簡単、ぜひ作ってみてはどうでしょう?

これは私が使っている味噌作りのレシピ。

 

味噌作りのレシピ:

・ オーガニック乾燥大豆) 300g

・麹 (米麹か麦麹)200g

・海塩 120g

・瓶・土器容器

・ラベル

用意するもの 

・ステンレスの鍋、ざる、ボウル、

・おたま

・すりこぎ、

・オーガニックのコットン布・サラシを・粗目の薄い綿布

・ベーキングシート

・重石

・ビニール手袋(気になる方のみ) 

・アルコールスプレーもしくは 焼酎か塩(気になる方のみ)

1。大豆を 2 ~ 3 回洗います。

2。水を大豆の 3 倍量入れ一晩置きます。 大豆は 2 ~ 2.3 倍に膨らみます。8 時間 程度でOK!浮いてくる豆の皮を取り 除き、水を切ります。 

 

3。大豆がかぶるように充分に新たな水を 入れ、最初は強火、沸騰したら、アク を取ります。その後中火でじっくり煮 て、さし水を加えます。鍋にもよりま すが目安は 3 ~5時間程度。 

4。大豆が親指と小指でつぶれるくらい になったら、火を止めて、ざるで煮 汁を切ります。

 

煮汁は10 ~ 50 cc程度を残して置いて大豆を塩切麹と混ぜる時に使う。

(煮大豆は傷みやすい ので、すぐに仕込まない場合は、冷 蔵庫へ。)

5。先に塩切麹をつくります。

麹に塩を入れて、私は手でよく混ぜます。

 

6。煮た大豆をボウルに入れて、大豆の形がなくなるまで手ですりこぎで潰します。私は少しだけ大豆の形が残った状態の時も味に感触があって好きです。温 かい方が潰しやすいので冷蔵していた場合は、少し温めて潰します。 

 

7。大豆に塩切麹を加えて混ぜます。水分 を見て、耳たぶの固さになるように少 量の煮汁 (通常は 10 ~ 50 cc程度)を加 えます。よく混ぜ合わせることが美味 しくなる秘訣。

 

8。混ぜ終えたら、一握りずつおにぎりのように丸めます。そしてひとつずつ容器(私は土器の瓶を使います)に敷き詰めていき、空気を抜きながら、 押し込む様に表面 を平らにします。側面はカビが付きやす いので、綺麗に平らにします。

9。表面にオーガニックのコットン布・サラシを・粗目の薄い綿布などを平らに敷いて、 その上にベーキングシートを空気が入らない様にして貼ります。 

カビの発生量を押さえるために、 表面にアルコールスプレー(無い時 は、焼酎や塩を軽く満遍なく振り掛 ける)が効果的でする人もいますが私はしていません。

 

10。最後は重石(出来れば重量の約3割ほどの重さ)をしてラベルをつけて完了。

置き場所:

直射日光をさけた場所に 静置してください。冷蔵庫には置かないで下さい。味噌は匂いを吸収する特性がありますので、匂いの強 いものの近くには置かないようにしてください。

天地返しをする方は忘れてしまわないように、直接、仕込み 日/天地返しの頃/出来上がりの頃を予め記載することをおすす めします。 

天地返し:

7 月中旬~ 8 月上旬の間に天地返しを行います。重石、ベーキングシート、綿布などをはずして、表面に できているかもしれない黒カビを取り除きます。白っぽいものは酸膜酵母といって体に害のあるものではありませ ん。でも、味噌に一緒に混ぜ合わせると味噌の風味が損なわれるので、出来るだけ取り除きま しょう。「天地返し」というように上下をひっくり返して、空気をよく含ませます。こうするこ とで発酵したときに出来る二酸化炭素を抜き、酸素を送り込むことによって、より良い発酵を促 します。これを再び 8 ~ 10 のように密閉し熟成させます。 

天地返しの目的:

・カビをとりのぞき、味噌の風味を損なわないように。

・上下ひっくりかえし、 発生したガスを放出する。

・酸素を送り込み、酵母の活動を促す。

・堅さを均一にする。 

出来上がり: 

出来上がりは1年後が目安です。暑い夏を越すことで味噌はおいしくなり、夏を越えた後は、お好 みで早く食べ始めても大丈夫です。出来上がった際には、天地返しの時と同様、カビを取り、上 下ひっくり返して均一にしてください。無添加の味噌はずっと発酵し続け、色は濃くなっていき ますが、腐るということはないので長期熟成も楽しめます。発酵を止めたい場合は冷蔵庫へ。 発酵させながら使う場合は、常温保存でカビを取り除きながら食べてください。

 

もし私の味噌レシピを作って質問がある方がいらっしゃいましたら、遠慮なくメールでお知らせくださいね。sanaehealing@gmail.com

 

Love, 

Sanae ❤️

 愛犬ハッピーの旅立ち後の悲しみを癒すセルフケア 

先週、5日間にわたる雨と風の嵐が続いた後、顔を出すのが待ちきれないような眩しい太陽の光とその光を反射した青空が降り注いでいた。

普段なら太陽の光と青空で爽快な気分になるけど私の心はまだ嵐が続いていて真っ暗だった。

いつも私の一番側にいてくれた愛犬孫、ハッピーが突然具合が悪くなって暴風雨の最終日に天国に旅立った。こうして書いているだけで胸が締めつけられる痛みを感じる。

気が抜けた空虚な気持ち。

まだ、ハッピーについてあんまり書けない。

今言えるのは…ハッピーは心が広くて、優しくて、寛容でひょうきんな私の愛犬孫娘だった。

彼女はいつも私の側にいて、私の影のような存在だった。

私が何かを取りにちょっと隣の部屋に行くだけでもついて来て、

私が見えないとウロウロして探してた。

今の私は影をなくした、幻のような感じ。

 

7日前に彼女が旅立った日、何をしたかはあんまり覚えてない。

ハッピーの最近の写真とビデオを見たけど、残念な事に、あんまりなかった。

ふたりで写したのは1枚(カバーの写真)だけだった。

ハッピーの母親のルミちゃんが14歳で健康上の問題を抱えていたため、ルミちゃんがハッピーよりも早く亡くなると思い込んでいたから、ルミちゃんの写真をたくさん写してた。

ハッピーが子犬の頃の写真も見たかったけど、まだ胸が詰まって見れなかった。

ハッピー(左)ルミ(ハッピーの母親)と私2024年の初日の出

 

長年にわたってアニマルコミュニケーション、動物行動学、栄養学、動物霊気などを勉強してきたのに、ハッピーの体調が悪いとは気づきかなかった。ショックだった。

亡くなってしまった今、罪悪感で押しつぶされそう。

ハッピーが亡くなった後、ハッピーを見つめることも近寄ることもできなかったハッピーの母親のルミちゃんがとてもかわいそうで見ていられないかった。

他の動物家族はみんな悲しそうな顔をしていたけど、近づいてお別れをした。

伝統的な仏壇「五基本」のお香、灯籠、お花、食べ物、お清めの水を供えるハッピーの祭壇を設置。

ハッピーの色はオレンジだったので、エリックと私は、まだ少し雨が降っていましたが、オレンジの花を買いに近くの花屋さんにカイちゃん(ハッピーの甥)と一緒に行った。

祭壇にろうそく、線香、おりん、水、彼女のお気に入りのオレンジのお花、大好きなブルベリーのクッキーなどを用意してあげた。

ろうそくやお線香に火をつけ、おりんを鳴らして祈った。

と言っても今、考えると何を祈ったかさえ覚えていない。

覚えているのは手を合わせた(合掌)ことだけ。

その後、ハッピーと一緒に聞いていた音楽をかけて たくさん、たくさん泣いてみんなで瞑想を1時間した。

何回も何回も犬猫家族と、エリックをハグした。

 

2日目は、あんなに降った雨が嘘のように、太陽は力強かった。

何もする気がない私は機械的に動いていた。

ハッピーの家族全員を見て、何も考えずにいつものように散歩に行った。

最初の散歩チームはハッピーのお母さんのルミちゃんとハッピーの甥のカイ君。

ハッピーはいつもルミちゃんとカイ君と一緒に歩いていたので、私の気持ちはそこになくて、心の奥底が麻痺していたのに、ハッピーが一緒に歩いているのを感じた。

家に帰ると、*CSC (癌サポートコミュニティ) の血液癌グループのメンバーから電話のボイスメッセージが入ってて、内容はZoom ミーティングに参加できないので、私が出席する場合はグループに知らせてほしいという事だった。 

*CSC (癌サポートコミュニティ) 血液癌グループ。

約 7 年前、私がステージ IV のリンパ腫がんになったときから参加しているグループ。

自分の経験をシェアーする場で他の人が血液のがんで身体的、精神的にどのような状況を経験しているかを聞き、治療法、病院、腫瘍専門医などについてのより多くの情報を得るのに役立つ。

Zoomだけど他の人たちと会うことにできるかどうかを決めないといけなかった。

長年の友人であるジョンが最後の化学療法を受けてからどうしているかも知りたかった。

皮肉なことに、ジョンは私がステージ IV のリンパ腫で化学療法を受けている時に病院にお見舞いに来てくれて、その 3 年後にジョンはリンパ腫を患い、彼を CSC の血液がんのサポートコミュニティに参加するよう招待し、彼は出席するようになった。

気が付いたらZoomミーティングが始まっていて、あっという間に時間が過ぎてた。

Zoomミーティングに参加したいという私の心からのメッセージを受け取り、

「Zoom接続」をクリックしました。

ミーティングに遅れて参加した場合、ミーティングの最後の方にシェアーする事になっていた。なのにこの日は私が参加した時に発言していた人が終わって、すぐファシリテーターの人が私に調子はどうですかと聞いて来た。

こんなに早く発言するとは予想していなかったので、何を言えばいいのか分からず、息が詰まった。

何を言うか一瞬少し考えて、

私は、「CSC のメンバーの 1 人が私にメッセージを伝えてほしいと電話のメッセージがあったので。それとジョンの様子を知りたかった…」と言った。

その後、私は泣き始めて、「ごめんなさい、今日は私らしくないんです…」と言って、

すぐ自分の言ったことを訂正して続けた、

「実際、今日のこの私も私です。」

私は深呼吸して続けた、

「私の愛犬孫娘、ハッピーが約24時間前に天国に逝ったんです。」

涙が溢れてきて止まらなくなった。

心がかきむくしられる痛むのを感じた。

胸が引き裂かれるようだった。

もう一度深呼吸をした。

「ハッピーが亡くなって悲しみと罪悪感を感じてる。彼女の母親であるルミが彼女より先に亡くなるかもと思って、この半年、ハッピーよりもルミのことばかり考えていたから。 ハッピーのニーズに合わせて正しいことをしてこなかったのかもしれない。」

「ごめんなさい、ハッピー!」

鼻をかんでからこう言った。

「私は心はとても痛み、津波のようなとてつもない悲しみが私の全身に押し寄せている。」

以前、愛する家族、友人、動物家族を含む誰かを亡くしたとき、その悲しみ、罪悪感などの感情をきちんと向き合っていなかったのかも、そのせいで免疫力が低下したのか、ガンを2回も患った事が頭に浮かんだ。

一つは父が亡くなった後、私が卵巣がんになったこと。

もう一つは、愛犬娘で私の介助犬だったクラが亡くなってから6か月後にステージIVのリンパ腫。頭の中が恐怖でいっぱいになった。

我に返ってCSC ミーティングでのシェアーを続け、

「過去に、強いつながりを持っていた人を失って、その人とやり残した気持ちや後悔があったためか、体力が低下し、免疫力が低下させていたせいか癌になったかも。また、健康を失うのではないかという不安があるので、私は悲しみに対処しセルフケアするために何を改善できるかを振り返る必要があると感じます。」と言った。

これを書きながらわかったのは、亡くなった人によって悲しみの形や色が違うこと。

母が亡くなったとき、私は悲しくて、もちろん悲しんでいましたが、母がどんな人であるかを受け入れ、母にとって私がどんな娘であったかを伝えるために、母とコミュニケーションを看病に2ヶ月日本に行った時したので亡くなった後、悲しかったけど平穏だった。

アメリカに住み始めて、16匹の動物の家族を天国に送ってきた。

動物を育てるのは簡単な仕事ではなくって、そして彼らが去ったとき辛くて、私は悲しみました。

でも彼らとのコミュニケーションして繋がりを持っていた動物家族とは、悲しみはサーフィンができる海の大きな波のようなもので溺れなかった。

父とクラが亡くなったとき、私はどうだったのか?

父が亡くなったとき:

父が亡くなる前、私は父と連絡を取ることができませんでした。

彼の健康状態が良くないことは知っていたので、彼が亡くなる1か月前に私は日本に行って父に会って妹と一緒に彼のお気に入りのレストランに行ったりして楽しく過ごした。

でもアメリカに帰国するために出発前に空港で父に電話しましたが、応答がなく、折り返し電話がなかった。彼の秘書は、父が仕事で出張中なので後で連絡すると言っていたが、連絡はなかった。

3週間後に危篤の電話を受け、翌日日本に会いに行った時にはすでに意識がなく、8時間後に息を引き取った。

私は母の手伝いや父の会社の対応のため、1年に7回も日本に戻った。

極度のストレスのため、私には悲しむ余地はなかった。

過労で倒れそうに何回かなった。

翌年、最初の夫が離婚を申請し、路上で保護して育ててあげてた犬の一匹が亡くなり、その後、離婚でお金を失い、マンションを差し押さえされた。

父親が亡くなる前に​​意思疎通ができず、体力の限界を使って日本に何回も行った後、最初の夫の信頼を失った悲しみ、路上で保護した愛犬の一匹が亡くなり心はどん底だった。私は健康を失い始め、卵巣がんになたんだと思った。

介助犬だった愛犬娘、クラが亡くなった時:

エリック(現在の夫)と私はクラちゃんが病気になった時、レストランのシード・キッチンの経営を救おうとしていた。大家と不動産屋は全く助けをもらえなくて、私たちは賃貸契約を失い、不動産業者が私たちを訴えて来た。クラが亡くなった後、私たちはレストランを閉めることになったが、大家さんが裏切って他の人にシード・キッチンを売る手配をしていた。

なので当時、エリックと私はレストランの事でよく言い争いをして疲れ切っていた。

私はレストランの顧客と従業員、生徒やクライアントに対応することに集中していた。

適切に悲しんだり、ゆっくり休んだりする時間はなかった。

レストランを閉めてからエリックと私は、レストランを閉店した後の借金の修復だけだった。

そして、半年後、私はステージIVのリンパ腫になった。

CSCのファシリテーターは私に、「どうすればこの悲しみから病気や癌にならないようにすればいいのでしょうか?」と尋ねました。

この悲しみの問題を考えて対処するのは私にとってポイントだ。

健全な悲しみとは、痛みに向き合い、それに対処すること。

それは簡単な仕事ではなく、近道はない。

2016年にクラが亡くなったときに、私が悲しみについて書いたブログ「悼しむ

」を読んでみた。

https://sanaesuzuki.com/2016/08/09/kula-golden-retriever-life-with-her-cancer-part-4/?lang=ja

これを読んで、当時クラちゃんを亡くして、私たちの夢のひとつだったレストランをも失くした辛い時期だったんだって思い出した。

そしてエリックとの夫婦関係に日々が入ってしまってそれを修理してたとわかった。

だから自分が悲しんでいるのがわかるまでには時間がかかっていたようだ。

私たちはみんな、自分自身の中に弱いつながりを持っている。

自分の最も弱い部分は、誰かを失ったとき、そしてその誰かが私にとって大切であり、その人との繋がりを快く理解しないで受け入れることができなかったことで、それが悲しみにつながり、免疫力を消耗し、健康を失っていたようだ。

今回は、ハッピーちゃんを亡くした悲しみをこうして受け入れられる気持ちと時間がある。

「*ペット・ロス・サポートグループ」とつながり、癒しの日記を書き始めることで悲しみを解放し始めてる。

*ペット・ロス・サポートグループ(アメリカの英語のグループ)

https://www.lapoflove.com/our-services/pet-loss-support

 

私の一番弱い部分に直面して、それを私の強みに変える必要がある。

必要なときは泣く。

罪悪感、後悔、非難、恐怖、怒り、そして、特に私自信を許すつながりに取り組んでいる。

痛みを和らげる – 私の気持ちをサポートし、優しく言葉をかけてくれる人々と話す。

書くことは私にとって癒しのツールの一つなので、自分がどのように「セルフケア」を行っているかについて書く。

散歩、アートとガーデニングをいつものように続ける。

悲しみのための薬草茶、バッチフラワーレメディ、温灸、霊気、マッサージ、薬草アロマのお風呂。セルフケアーはまだまだたくさんある。

 

エリックと一緒に、正面の庭にグレビレア・スパーブ低木植物(オレンジがハッピーの色だったオレンジ色の花が咲き、ハッピーは低木植物が大好き)を植えてみた。

ハッピーが亡くなってからは、ハッピーとはあんまりコミュニケーションができていなかったけど、グレビレア・スパーブを植えている間、ハッピーの声が聞こえてきて、

「マミー、すごく綺麗なお花だね。オレンジ色が大好き!」

「手術をしないと決めて、私が生まれた家から天国に行けるように、私を心臓専門医から家に連れて帰ってきてくれて嬉しかったよ。」

ハッピーが心臓専門医からおうちに戻る時

 

「心臓専門医から戻ってからもう少し時間があればよかったとマミーは思っているのはわかるよ。私も同じだよ。でも私の心臓は強くなかったんだ。」

「マミーがしてくれたことすべてに本当に感謝しているよ。

マミーは私の全てで、マミーと一緒に生きている事が幸せだったんだよ。私はとっても幸せな犬孫だったよ。

マミーが毎日私に喜びと愛を与えてくれたから喜びと愛を広めることを学んだんだよ。 」

「マミーがみんなを癒す方法を教えてくれたんだよ。」

「また一緒に過ごせるように、マミーはこれからも健康に気をつけて長生きしてね。」

「今、私もまだ天国に行かなくっちゃいけなかった事にショックを受けてる。

マミーがショックを受けて、罪悪感を感じていることはわかるよ。

でもマミー、私が旅立つ時の顔を見てくれたでしょ。私は痛みなく幸せに出発したんだよ。いつもマミーが私は美しいっと言ってくれてたまま逝ったよ​​。」

ハッピーが天国に逝った直後

 

「マミーとパパはとてもよく私の面倒と世話してくれたね。」

「本当にありがとう!」

「次に会うとき、またそこに戻るか天国でか必ずまた会えるよ。」

「話は変わるけど、もう気づているようだけど、私はルミ母犬の体を使ってマミー達に会いに行ってるんだ。」

「マミーが『ルミは、ハッピーと同じように、私たちの助けなしでも起きて、どこへ行くにもついてきている』と言っていたのを聞いたよ。 (ルミは関節炎を患っており、自力で起き上がることがあまりできない)

「ルミはハッピーみたいにいびきをかかずにぐっすり眠っている」(ルミは眠っている間ずっといびきをかいている))、「ルミは何か食べたいときにハッピーのようによだれを垂らして待っている」 (ルミはよだれを垂らしたことは今までなかった)

そうだよ、マミー、私はルミ母犬の体の中であなたと一緒にいるよ。

私がどれだけマミーと一緒にいたいと思っているかがわかるよね!」

「大好きなブルベリーのクッキー、フレッシュなお水、キャンドルやお線香、そしてきれいなオレンジ色の花束をありがとう!

私は永遠にマミーの愛犬孫娘で、とても祝福され、愛されてるってわかるよ!」

ハッピーの涙を感じた。

 

私は空を見上げて彼女の魂を抱きしめた!

そして彼女にこう言いました。

「ハッピー~アリガトウ!

ハッピーは私とみんなに喜び、愛、幸せを与えてくれる素晴らしいお仕事をしてくれたね。

ハッピーが私の人生に来てくれてとても嬉しい。

いつもそばにいてくれてありがとう!

また会えるまで。。。」

ハッピーからコミュニケーションが来てとっても嬉しい、感謝。

私の心の準備ができたら、ハッピーの人生に敬意を表して、彼女の犬生物語を写真とともに書きたい。ハッピーに敬意を表してメモリアルをしたい。

今日はハッピーの*初七日なので、私なりに法要してあげたい。
*初七日

これは故人(故犬)が「死出の山」と呼ばれる長さ3200kmの険しい山を越えてから
三途の川に辿く日(三途の川は幅が4000km もある大きな川) です 。
故人(故犬)が生前してきたことでこの河が激流、急流か緩流になるとか。
故人(故犬)の家族や友人は無事に渡れることを法要する日だそうです。

この事は以前ブログに少し書きました。

https://sanaesuzuki.com/2016/08/09/kula-golden-retriever-life-with-her-cancer-part-4/?lang=ja

ありがとう、ハッピー!

Love,

Sanae ❤️

新年の目標 – インク作り


1月は新年のゴールを書く時にしている。
もう30年ほど、元旦に初日の出を拝み行っているが実際は旧暦で年間計画を立てているので、二月の旧正月までの間、新年をどのように過ごすかを意識して過ごす。
頭に浮かんだ事、思った事、感じた事を書き始める1月は、新年の気持ちを確かめるのに最適。

毎年こうして自分の目標を書いていると、自分の気持ちの中でやりたい事と実現できる事を書く習慣は好きだと気づいた。
昨年書いたものを確認し、どれが実現できたか、どれができなかったかを確認する。
達成できなかった目標があれば、それを素直な気持ちをもって見つめ、今年も同じ目標に向かって努力するかどうかを考える。
時々、興味や感情が変わって続かなくなることがある。それはそれで物事と自分の変化を受け入れ、その事に対して批判しないことが私にとって良い経験になっている。

 

2024年の目標の一つは、マイワ染織学校のワークショップを受けて、天然素材を使った「インクの作り方を学ぶ」こと。

なぜ私がこのワークショップを今年の目標にしようと思ったのか?
実はある事があって幼稚園を変校、新しく通い始めた幼稚園の園長さんの弟さんが有名な書道の先生で、その先生について5歳から「書道」を始めた。
初めは墨を硯にする事と紙の上に落書き。

 

墨を水と混ぜて手で硯にすって作り墨液がなぜか好きだった。
墨をすっていると時間が経つのも忘れてしまい、先生が時々様子を見に来て「筆を墨につける準備はできたか?」と言われた。

幼くっても私は禅状態にあったのかも、ハハハ!
墨の香りと墨が硯を擦る音にゆったりさせられていたのかも。
真夜中より暗い真っ黒な墨液もすりかたで作れたかし、夜明けの色、灰色に近い墨液色もあった。
墨をする手の動きや気持ちによって墨の色が変わった。
ゆっくりと手を動かしながら、墨をすることが、内気な幼い”さなえ”に自信を与え、心を落ち着かせるのにも役立っていた。

美術館の『書道展』に出品するよう先生に勧められて、数々の賞を受賞してた頃もあった。

お友達に頼まれた書道。

 

それから小学生の頃に父が万年筆を使っていることに気づき、万年筆に惹かれ、13歳の時に初めて万年筆を買ったのを覚えている。
緑のインクを見つけて、故郷の名古屋の深夜ラジオ番組「あまちんの若者リクエスト」に葉書でコメントとリクエスト曲を毎週送った。
電話でも曲のリクエストはできたけど、たくさんの人がかけていたから、いつもつながらない事がほとんどで、葉書を送る手段をとって、学校の勉強よりもこの葉書を書くことに夢中になっていた。
緑色の万年筆を使っていたのでペンネームは「グリーンパフ」。

ほとんどの人はボールペンで葉書を書いて送っていた。万年筆とカラーインク、特に緑色で葉書を送っている人は誰もいなかったので、DJ のアマちんが大体毎週私のカードを選んで、私のお好みの曲をかけてくれていた、もう忘れかけていた甘い酸っぱい思い出。

 

2001年に臨死体験をした車の事故で大怪我をして歩けなくなって、エヴィーさんという人のお陰でサンタモニカカレッジのエメリタス校でペンカリグラフィーのクラスを受講することになった(この話はここに英語で書いてある)。
日本の書道とは違うけど、準備して用意して書く姿勢は似ていると思う。心を落ち着かせ、雰囲気が静寂になる。
私がペンカリグラフィーの練習をしている間、うちの犬猫家族たちはみんなリラックス。

私のペンカリグラフィー練習ノートからのリンディスファーンの福音と絵。

 

ずっとペンカリグラフィーを続けていて、数年前に学校のアートショーに自分の俳句をペンカリグラフィーで書いて水彩画の版画と作品にして出品できて昔の事を思い出した。身体障害があってもまたこうしてアート展に出展できた事、嬉しかった。

アートショーに出展した、俳句とカリグラフィー、版画アート

 

ステージ IV の非ホジキンリンパ腫がんで余命1ヶ月もないと診断された後、治療のために 6 サイクルの化学療法を受けた後、2019年の春、東京のカキモリのインクスタンドでインクの色を混ぜて以来、いつか自分で「インク」を作ってみたかった。

 

 

インクスタンドにはたくさんの色を作成/混合するため10 色の基本色があって私は1 つ自分の色を作ることに魅了された。
天然の染料材料を使ってインクを原液から作る方法はないのか、ということにも興味を持っていたのでマイワ染織学校で「インク作りワークショップ」があると知ってワクワクした。

また美術展用に新しいカリグラフィーアートを自分のオリジナルインクカラーで作成ができたらいいなと思い、
このワークショップを2024年の目標の一つにした。


ワークショップは7週間あって、始まったばかり。
最初の週はイントロとモジュール 1 で、インクを作るために準備する必要のある材料や消耗品を学ぶ。
ガラス製品が大好きな私は、材料リストにガラス・ビーカー、フラスコ、シリンダーなどが含まれているのを見て、感激。
雨水を利用してインクの原液も作れる事がわかったのも嬉しい。
タイミング良く、ここ数日雨が降っていたので雨水の用意もできた。

今朝降った雨粒

 

今週末、アラビアガム原液とセラック原液を作るための材料などをすべて入手。
この手前のガラスの容器は化学の授業で使った物のみたいでしょ?

 


アラビアガム原液を作るのは、アーモンド・ミルク・ラテ作りぽく、あんまり時間もかからなかった。
シェラック原液は最初にキャラメルシロップを作っているようで、講師のティムさんが「作るのに1時間かかる」と言ってたけど、私はシェラックを溶かすための湯煎のお湯の量が少なかったようで2時間くらいかかった。 これは次回作る時の参考になった。
何にしても、ゆっくり楽しい日曜の午後の時間を過ごしながら完成。

初めて作ったリサイクルボトルに入れた、アラビアガム原液とシェラック原液。

 

考えていたよりもはるかに刺激的なワークショップで自分のオリジナルカラーインクを作るのが楽しみ〜。


少しづつ、インスタグラムやフェイスブックにもっと写真を投稿して、またブログにも書きたいな。

 

Love,

Sanae ❤️

初日の出拝礼2024年(令和6年)


同じ事を継続するのが得意じゃなくって、やっている事を中断して、途中で他の事をしてしまうところが小さい時からある。
母から’あんたは、飽き性’とも言われたが、
でも途中で中断してもそれを完全にやめてしまうのではなく、また後からやり始めると言う結構厄介な性格で、それで母には理解できなかったかも。


歳をとってまた、やり始めて終わらせられるようになった事が増えている、と言ってもこの年になって、ずっと続けられている事はたくさんないけど。。。
16歳で初めて買ったTシャツ、
40年前に長崎で買った初めてのコバルトブルーの一輪さしなど、大切にしている、
アルコールを飲むのをやめてもうすぐ39年、
エリックと知り合って33年、
マクロビオティックを始めて31年、
初日の出を見に行くようになって30年、
そして、このブログを書くようになって9年。
こうして書いてみると私にしては、結構継続できているもの思ったよりあるな〜。

初日の出を見に行くことは、私にとって精神的なつながりがあって続けているようだ。
今年は曇りで初日の出が見られるかわからないとお天気予報では言ってたので、5時に起きて行くしっかりした心がまえはなかった。
でも、眠くもなく5時に起きてボディースクラブして準備した。

昨年は、関節炎で足の調子が良くなくて初日の出を見に行けなかった犬娘のルミちゃん(この1月に14歳になるゴールデンレトリバー)は私と反対で今年は行くぞって大晦日から待機しているように見えた。
そのルミちゃんを見て、自分に「行くぞ」っていう強い気持ちがなくってもなんとなく行くっていうのもありかなって穏やかな気持ちがもてた。

今この瞬間にも世界中でさまざまなことが起こっている世界に私たちは住んでる。
私たちが選択しなくても、日々報道される戦争、悲しいこと、恐ろしいこと、そして様々な犯罪。
大切なことは、そんな中で、もっとはっきりと物事を感じられない自分でもいいんだ、と受け入れ、自分にとって本当に大切なものに焦点を当て、自分の感情が曖昧なときは、それをありのままに観察して理解してあげらええるようになる。ハッキリしたものが感じられない自分がいてもいいじゃないかなと受け入れられた。

 


曇っていたけど、雨は降っていなかった。
山に着いて車を止めて懐中電灯を持って暗い道を少しずつ歩いて行くとまだ夜が明けきっていないサンタモニカの灯街がハッキリ見えた。これならきっと初日の出が見られるって確信。


ルミちゃんの関節炎は良くなって来ているけど、ゆっくりペースで歩いているので結構いつもの頂上に着くまでに時間がかかって、着いたら、もう初日の出の傾向で山の後ろは真っ赤になっていて、私たちを興奮させた。

今年は、エリックとルミちゃんの他には、ルミちゃんの娘のハッピー、そして犬息子のカイちゃん、そしてカイちゃんの息子のラニちゃんも一緒に初日の出を見に行くことにした。
それから私のガーデンのお手伝いをしてくれているエンジェル君と彼のお友達でオーガニックファームで働いているエミーさんが一緒に参加。



大きな雲がかかっていたが、ちょうど、雲の切れ目が山と初日の出が見えるところにあって鮮やかなオレンジ色が見えた。


毎年、私たちのように初日の出を見に来る人たちがいて、他の人たちも少しづつ来始めていた。
その中の一人が、「あなたは毎年ここで初日の出を見に来てますよね?」って私に話しかけて来た。
「はい。」と答えると、「やっぱり。レストランを経営してますよね?」と言われたので、「もうレストランは閉めました。」と私が言うと、「それは残念。」と言うので、即座に私は「全然、残念ではありません。レストランを閉めてもっと時間が出来たし、ストレスも減り、毎日を楽しんでます。」と言った。
すると、「そうですよね。私もビジネスしてますが閉めようかと思ってる。」と言う答えが返って来た。
そしてその後、「以前ここであなたに会って、初日の出の写真を送ってもらったんですよ。」と彼女は続けた、「その写真は私の一番大好きな写真で今でもスクリーンセーバーに使っています。送ってくれてありがとう!」

私は、大学時代、コミュニケーションとフォトジャーナリズムを勉強してた。写真撮るの好きで以前はニコンやキャノンのカメラをよく持ち歩いていた。なのでよくいろんな人に写真を送って欲しいと言われて送っていた事があった。その人の事は覚えていなかったけど、その人は私が大きなカメラを持っていた事を覚えていて、私が忘れかけていた事を大切にしてくれている人がいるんだとわかって嬉しかった。

そうしているうちに初日の出は昇って来て、
雲で初日の出予定時間の6時59分にほんの少しだけしか見えなかったけ、7時3分に素晴らしいビームを見せてくれた。

深い気持ちで*初日の出を拝礼。東西南北の神に2024年(令和6年)の豊作、無病息災と平和を祈った。

*初日の出を拝む習慣というのは、明治以降盛んになったと言われていまが、最初は、「四方拝」といって、天皇陛下が元旦の朝速く起きて身を清め、天地・四方・山稜を拝礼する東西南北の神に豊作と無病息災を祈ることから始まり、平安時代頃に公家から庶民に広まりました。それが更に初日の出を拝むという習慣に変わっていったそうです。

 

ビームは強くなった。

ビームが穏やかになった。

ロスアンジェルスのダウンタウン後景は真橙色。

 

山を下りる途中でルミちゃんが立ち止まったので、エリックは急な坂道でルミちゃんが歩きにくと思って抱っこしてあげた。ルミちゃんは「下山するのに時間がかかったけど、自分で歩けたよ。」と言いながら、「でも、エリックパパの愛に感謝してるよ。」とも言って感謝いっぱいだった。

 

 

お家の戻ってお正月のお雑煮を食べてながら、

 

なんとなく、行った初日の出だったけど、今年も素晴らしい日の出が見られて、こうして健康で初日の出を拝礼できた事、心から感謝。

新年、明けましておめでとうございます。

有り難うございます。

Love,
Sanae❤️

 

2023年(令和5年)を振り返って

 

もうすぐ2023年が終わります(日本はもう終わってる)。

水星逆行が12月13日から始まっていたのを知ってますか?(今年4回目)。水星逆行が起こるとがいろんな事があって、普段の生活にも影響を及ぼすといわれている。たとえば…

  • コミュニケーションがうまくいかない。
  • 交通機関が滞る。
  • ネット関係の繋がりが悪い。
  • うっかりミスが増える。

   など。。。。

それでなのか私の静かな生活にたくさんのことが起った。

愛犬のナルちゃんと私が路地を歩いているときに近所の犬に襲われ、救急病院に行った(大した事がなく怪我は10日くらいで治った)。

パソコン(Appleラップトップ)がクラッシュして、サンタモニカのAppleストアーに2回行って、その後サンタモニカのコンピューターテクニシャンと話すために電話したら、インドに住んでいるAppleのオペレーターと30分以上話してやっとつながった。

エリックのバンが故障し、エリックと私は口論、UPS の荷物が間違った場所に配達、誰かが私の American Express カードを使用、

そして昨日はブログを投稿するための Web サイトのダッシュボードにアクセスできなかった。ウェブサイトを直してもらえるよう電話1時間、修正に72時間くらいかかると言われた。

正直、少し疲れて落ち込んじゃった。

なので瞑想をエリックとして好きな映画をネットフリックスで見て寝た。

今朝、気持ちを取り直してウェブサイト見てみたらが、もう修正されてたので、気持ちを取り戻して今、書いていたのをここにポストしますね。

ちなみに水星逆行2024年1月1日まで。

 

私は牡羊座で今回の水星逆行のレッスンはこう書いてあった。

牡羊座さん、壁が迫ってきていると感じたら、横に目を向けて別の場所につながる開口部を見つける必要があるかもしれません。創造的でありながら忍耐強い思考と、いざという時の機敏な行動が前進の鍵となります。感情的な圧倒に注意し、それをすべて呼吸して乗り越えてください。

本題:

…昨夜(12月29日)、私が住んでいるサンタモニカでは大雨が降っていた。雨音で目が覚めた真夜中、今朝はどうなるだろうと考えていましたが、その後、元気そうな太陽が顔を見せてくれた。

夜中に降った雨、そして朝日によって香る「ペトリコール」という雨の匂いが大好き。

「ペトリコール」がこの一年について書くモチベーションを与えてくれたみたい。

九星気占星術によると、今年2023年は私は冬ー水の位置にいた季節。それは冬眠の時期。

過去数年の冬季、2014年、2005年、1996年には冬眠をしなかった私。勇気を持って冬眠をする事を決めた。

冬眠期間中、水に浮くように予定を決めて、仕事も減やし、外出も減はして、教えるクラスなども減らした。

 


家にいて自分との時間を大切に過ごした。


野菜、ネイティブ植物、薬草を育て、水彩画、カリグラフィー、自然染色布地アートを作成し、セーターを 何枚か編み、新しい本のドラフトを書き始めた。


また、自分の内面の問題を理解したく、9月からユング心理学のクラスをズームで受講している。
スローペースな人生を楽しむコツを学び始めた。

大きな旅行は姪の結婚式のために日本に行っただけ。
またいつかその事をブログに書きたいと思ってたけどまだ書けてない。


冬眠状態と孤独感にイライラすることもあった。
春が近づいていることはわかっているので、春が来るのを待ち遠しい。

 

2023 年は、ステージ IV のリンパ腫癌のため赤い悪魔と呼ばれている化学療法を受けてから重要なゴール「5」年が経過した年。(1年が初めのゴール、次が3年、そして最後のゴールが5年でもう同じ癌が再発しない事を確認する)
私の腫瘍内科医であるミード医師は、2017年以来私に重篤な合併症が見られず、化学療法後5年の目標を達成した後、服用しているのは骨密度低下のため、骨粗鬆症用の薬以外一切服用していないことを検診の時に喜んでくれた。


ミード医師に、自分のステージ IV のリンパ腫がん回復物語を書いている事を伝え、できたら序文を書いてくれるよう頼んだら。私が本を書き終えたら、書いてくれる事を同意してくれた。嬉しかった!

だから本当ならもっと書いて今年は書き終えたかったのに、まだ第 1 章の冒頭とすべての章の仮タイトルを書いただけ。
書き終えるまでには長い時間がかかりる、でも十分にできなかったと自分を誇張するのはやめて、自分のペースで終わらせ、自分の心と繋がっていくことが大切。

 

自分の長所だけでなくと短所にも感謝できるようになった。
健康と夫、一緒に住んでいる動物家族、そして友人や家族という贈り物に感謝。

 

2024 年があなたと私たちの健康、幸福、そして愛をもたらしますように。
新しい年のスローペースな生活を築いていけるのが楽しみ〜。

Love,
Sanae❤️

春の日本旅行日記2023年6日目京都

今年の春、日本に行った旅行日記の続きを書こうと、ずっと3ヶ月くらい思っていても、書くリズムがなくなっていた。
集中してなかなか書く気力が戻らないまま9月も半ば。

今朝早く、雨が少し降り始め頃、
微かな雨音を聴きながら空気の湿り気を感じていた。
いつもより湿気が多くって、日本に住んでいた頃を思い出した。

ベッドの上で寝付かれない重い気持ちで寝返りを何回かして、起き上がって雨が降るのを眺めていたら、自分のエモーションが押し寄せてくるのを感じた。その気持ちを拒まずに自分の気持ちに従うことにした。

空はミルク色がかった藍色、夜明け直前に一瞬濃い紫色に変わり、見逃してしまいそう。
この一瞬は鳥がモーニングソングを歌う前、そして全ての音が止まる。
気をつけていないと見過ごす瞬間。
この夜明け前の色と静寂の瞬間、普段気づけない事に気づく。
そんな瞬間が好き。
あんまり何にもできていない自分でも大丈夫って気がする。

そんなわけでやっと書く気力が少し湧いて、
日本2023年春日記 6日目 京都」。
(写真の整理に時間がかかってもう10月に入りましたが、写真を見ながら読んで楽しんでいただければ幸いです。)

 

京都は日本の文化の中心地として古くから日本人だけでなく外国人にも人気の高い場所。

京都を訪れて印象に残っているのは11歳の小学校の修学旅行。宿題として写真とイラスト日記を書かなければならなかったので、今でも鮮明に覚えてる。



古今東西の文化や建物が見事に融合し、魅力的な都を形成してる。
京都の人々は柔らかくゆっくりとした話し方で、食べ物の味はほとんどの日本料理よりも薄味で色も濃くない。京都には1600の寺院と400以上の神社があると言われている。


これで京都に来るのは7回目。
心がウキウキしていたようで夜明けに目を覚ました。
宿泊していたホテルグランヴィア京都のお部屋から外を見たら、
盆地に位置している京都は日の出が見えなかったけど、その日がいい日になる事を象徴しておるかのように気持ちを高めてくれた京都駅JRと山景色。

その日の朝は、8年ぶりで会う眞利枝ちゃんとの約束でホテルグランヴィア京都ロビーで待ち合わせ。
8年前、広島からわざわざ私たちに会いに来てくれて一緒に1泊二日を京都で過ごした、楽しかった時を待っている間に思い浮かべてるとニコニコ顔の眞利枝ちゃんがやって来た。

眞利枝ちゃんは一緒にクシインスティチュートに行ってマクロビオティックのカウンセラーになる勉強をした同志。広島で以前クラスを教えさせてもらえたのも眞利枝ちゃんのお陰。

この日、眞利枝ちゃんは天龍寺を訪れることを選んでくれました。 天龍寺は 京都の嵐山地区で最も重要な寺院。京都の格式の高い禅寺である京都五山の一つ。

この前一緒に京都に来たとき、私はまだあまり歩けなかったのでずっとタクシーを使ったけど、今回は電車に乗る自信があったので、ホテルのある京都駅から電車に乗ることにした。ホテルから嵐山までの所要時間と料金を調べてみると、タクシー: 渋滞がなければ 15 分 / 30 ドル、電車の場合: 35 分 / 2 ドル。

駅でトワイライトエクスプレストレイン「みずき」を見られて最高。エリックと私はいつかトワイライトエクスプレストレインに乗りたいと思っているので、とても興奮しちゃった。エリック、眞利枝ちゃんと楽しい会話をして、たくさん笑った。

JR山陰本線で嵯峨嵐山駅に到着し、天龍寺まで歩く事にして、どっちに方向に行くか、わからなかったけど、他の人たちについて行ったら天龍寺に到着。途中には小さなお店がたくさんあったので、気を散らさないようにするのは大変だったけど、まずは目的地に向かって歩けて良かった。

まず天寺に着いてから新しい御朱印帳を買う事にした。
母が生前の頃、母とお寺や神社によく行って集めていた御朱印。
母が亡くなってどこに行ってしまったか見つからないので新しくスタート。

寺は約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめている、日本最初の史跡・特別名勝指定だそう。なので初めは曹源池庭園(そうげんちていえん)をまず見た。

今回は桜はもう散って、芍薬、藤の時期で美しさを満開。
春は枝垂桜・夏は新緑・秋は紅葉・冬は雪と、いつ訪れても美しい景観をお楽しめる。

庭園の後は有名な竹林道。
人大勢の中、竹林のもつ力に強く感動。

たくさん歩いた後は、天寺の中にある精進料理店「篩月(しげつ)」でお昼ご飯。

精進料理は鎌倉時代・禅宗の教えとともに中国から伝えられた料理。

精進料理

それは禅宗の修行の一つ(食べること)の精神と自然の調和から生まれる心の自由を味わうために完成された調理法であり、厳選された新鮮な四季折々の素材を心を込めて整えることから始まり動物性の素材を一切使用せず野菜・山菜・野草・海草類を主にした素材で健康に優れた料理法といえます。とっても美味しくって京都らしい薄味の食べやすいお料理は最高だった。

腹ごしらえをした後は、法堂の天井に描かれた巨大な雲龍図を見に行った。天龍寺開山夢窓国師650年遠諱(おんき)記念事業として、日本画家加山又造画伯によって描かれたそうで、360度どの角度から見ても睨まれているように見えるとエリックがまず気がついて教えてくれたので見てみると本当にすごいどこに行っても睨まれているようだった。説明書を読むと雲龍図はどこの位置からも睨まれるので「八方睨みの龍」とよばれていると書いてあった。

でも撮影は出来なかったので眞利枝ちゃんが買ってくれた雲龍図手拭いでその雰囲気を感じてもらえるかな?

寺を後に嵐山の「渡月橋」を歩いて行くとたくさんお土産屋さんがあった。

京都らしい素敵なデザインの御朱印帳入れもゲット。

 

たくさん味見して、エリックが湯葉のソフトアイスクリームを食べて、私と眞利枝ちゃんは焼きたての栗をホクホクさせて黒豆のコーヒーを飲みながら一緒に食べて楽しくブラブラ。

京都では、伝統的な日本の着物を着ている人たちが見についた。

「渡月橋」を渡る時にとってもかわいいレースの着物を着たガルがいたのでエリックと一緒に写真を撮った。

着物レンタルがいろんな所にあって、振り付けも昔風ではなくってフリフリの可愛い感じ、高い正絹の着物ではなく、化繊・ポリエステル・アクリル繊維の着物を着て観光をしている若者が多く、それもいいなと思った。日本の昔からの文化をこんな風に伝えていくのもありなんだね。

帰り道は、うちのワンコとニャンコたちの面倒を見てくれている友達と近所の人にお土産を買っていると、可愛いオレンジ色の水玉模様のポシェットをエリックが見つけて私に使って欲しいというのでちょっと可愛いすぎるかと思ったけど彼の好意を受け入れて買ってもらった。

 

嵐山の後はホテルに戻って休憩。

夕食は京都料理を3人で食べに行って楽しく、次の日の京都体験の話に花が咲いた。

京都の続きはまた。。。

Love, Sanae❤️