悼しむ

私のブログを読んでいる方は私の犬娘クラちゃんが昨年の8月に天命したのを知ってるかもしれませんね。

クラちゃんは私がまだ車イス生活をしていた時に私のサービースドッグとしてうちで生まれて育ったゴールデンレトリーバー犬です。私が1993年に卵巣癌になって子供が産めなかったので私と主人のエリックにとっては娘でもありました。

クラちゃんがいなくなってとっても悲しくって、これからどうしたらいいのかとわからないような気持ちにもなりました。ゆっくり悲しみから回復できるようにあまり仕事もしないで自分の気持ちを大切にして、クラちゃんの49日の為のポットラックもクラちゃんの家族とたくさんのお友達に来ていただいてやることが出来ました。ブログblogsとYouTube ビデオ here.

仏経の教えでは100日が来たらもう悲しまないで泣かないと聞きました。その教えを真面目に考えていたわけではありませんが、クラちゃんの100日の11月9日後、泣くのを止めただけではなく、クラちゃんの話をしなくなって、クラちゃんの事をFBやブログに書くのも止めてしまいました。自分では止めるつもりではなかったのですが、丁度、アメリカは感謝祭があり、その後、クリスマスなどのホリデーが続いていたので、周囲は、ホリデー真っ只中の雰囲気は私のクラちゃんの事を思う気持ちとは正反対でした。それで、こんな気持ちは、誰にも話せないと思い込んで、自分の心の中に押し込みました。

 

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写真: クラちゃんの大好きなビーチ。私の下駄を履かせたら、ご機嫌で夕焼けを見ていました。

 

そうしているうちに、だんだん、気持ちが麻痺してきたように自分、“Sanae.” を感じなくなってしまいました。”Sanae”は毎朝、今日は何をしようかな?と 好奇心が強く前向きだったのに、エキサイトして何か新しい事をしたいという気持ちがなくなってしまったような毎朝になってしまったのです。ホリデーになると日本の家族を思ったり、周りの騒々しさについていけなくってブルーな気持ちには毎年なるので、また、それだかなと結構簡単にとって、普通にお料理クラス、ヨガクラスを教えたり、カウンセリングをしたり、犬家族と散歩をして、自分のヨガの練習にも励んでいました。

クリスマス1週間前に本当に珍しくエリックが体調を崩して仕事を休むほど酷くなりました。彼が最後に病気になって仕事を休んだのはアメリカに彼が引っ越して来た年の1992年なので、24年ぶりでした。エリックはクリスマス後に仕事でユタ州に行かないと行けなかったので、一生懸命、介護してあげました。それで、彼は回復してユタに私が作った飛行機内ようのお弁当を持って行けました。でも、それと反対に私は、高熱でダウンしてしまい、おうちで、一人うちの動物家族と静養していました。この事は年末のニューズレターで書いて送ったのですが、日本語で書いて送る体力がなくって英語だけでした。その時のブログは英語ですがこちら。写真だけでも見ていただけると様子がわかると思います。

エリックが大晦日に戻って来てすぐ、良くなって、またお料理教室なども始められました。

水不足のカリフォルニア州にとっては、1月に入っても恵の雨があって今年は、最悪の水不足を避けられたようですが、私たちのノースフォーク(ヨセミテ国立公園近辺)の山小屋が洪水で浸水してしまいました。早速、ノースフォークに(サンタモニカから車で約4〜5時間)に行って、エリックはノースフォークの友人と浸水した水を取り出す作業をして、水が建物の中に入って来ないよう、建物のまわりに山からの水が建物にいかないよう、溝を作ったりしました。私は作業をしたみんなのために一生懸命エネルギーのつく食事を作りました。みんなに美味しく食べてもらえて嬉しかった。なのにまた、次の朝から高熱が出て1週間も出て、気持ちは下がってしまいました。症状は少し喉が痛かったり少しだけ、咳をしましたが、殆ど、風邪やインフルエンザの状態ではなく、普段、大好きな玄米や味噌汁が食べられなくなって、3年番茶も飲みたくなくなってしまいました。その他、眠る時間とかも変わってしまいました。普段の家事、洗濯は高熱があった以外、出来ていました。ただ、あまり外出してみんなに会ってという気分ではなく、いつもの好奇心も新しい事をしたいという気持ちはまだ戻って来ていませんでした。そして、毎朝のヨガの練習に行く気がなくなってしまいました。ただしたかった事は、海にうちの愛犬たちと行って波を音をきいてボーッとしたいという事でした。うつ病に(以前なった事がある)なっている感じではないのです。

少し時間がかかりましたが、自分が悼んでいるとわかりました。そうクラちゃんのことで悼んでいる。いつも毎日クラちゃんのことを考えている。私がまだ車椅子に乗っていたころ、クラちゃんが私のサービス犬として助けてくれて一緒にした事、一緒に行った所、毎日、目に浮かぶのです。

自分がクラちゃんが逝ってしまって、悲しい気持ちを持っているのは気づいていました。でも、8歳から今までたくさんの犬たちと猫たちが天命して、そのたびに、みんなそれぞれを思って悲しんだりしてきたので、今回も同じだと思っていた。それと、まだうちにはクラちゃんの犬家族が5匹いて、猫家族も2匹いるので、クラちゃんの事を想っていつまでも泣いていたのではいけないと自分に言い聞かせてクラちゃんの事を話したりするのを完全に止めてしまったようです。

クラちゃんのことを悼んでいるかもとわかって、昔、友人から教えてもらった悼の心から回復する本を読んだり、サポートグループを見つけて、どのようにしたら悼を乗り越えていけるかを学び始めました。この本には、自分の悲しみ、悼、心の痛み、逝ってしまった人、動物などのことを話すと書いてありました。クラちゃんの思い出を話すと私の心が持ち上げられて開くような気持ちになるので、この事を知って少しホッとしました。悲しみと喜びは一緒に思い出を作り上げているということも学びました。そうですね、生きているということは楽しいことだけ、嬉しいことばかりではないのですから、悲しみ、辛いことがあるからこそ、私たちは学んで生き、成長していくんですね。

グリーフリカバリーハンドブック (著者:ジョンジェイムスとラッセルフリードマン)から学んだことは、

 

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間違った悼みの解釈

ほとんどの人が家族や動物などが逝ってしまった後に聞いたことが聞いたことがあると思われます。

 

時間が解決するー亡くなった人や動物などを10年、20年経っても思う気持ちは消えません。返っ て時間が経てば経つほど悲しい気持ちは無くならないでいる人も少なくないようです。

人に迷惑をかけないーこれは日本人には多いようで、みんなに迷惑を変えたくないから自分で一人で 悼む人は多いようです。

気持ちを強く持つー長女や長男だった人は、お姉ちゃんなんだから、お兄ちゃんなんだからしっかり しなさいと言われて来たことと同じで、気持ちを強く持って何にがあっても生きて行く。

泣かないー小さい時から泣かないように言われて来た人は多いはずです。とくに男の子は男だから泣 かないと言われて来たと思います。

悲しみを何かに代用するーこれは動物をペットとして飼っている人に多くみられますが、また違う、 ペットを飼うことで悼みを代用する。

忙しくするー仕事を今まで以上にして忙しくする人は多く、その時の悼みまぎわらせていく。

 

ひとつひとつ、そしてひとりひとりのつながりはみんな違うということも学びました。だから、いままで、たくさんの動物家族を天国におくりましたがクラちゃんと私のつながりが強くまた、私にとっては、成長していく過程を与えられたようです。

 

ペット用のグリーフリカバリーハンドブック(著者:ジョンジェイムスとラッセルフリードマンとジョンジェイム)も見つけました。

 

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日本語の本も次回は調べてみますね。

 

クラちゃんの事をまた少しづつ話始めました。そしてクラちゃん事をこうして書き始めました。友人たちにも少しづつ自分が悼みを乗り越えている途中だということも伝え始めましたた、気持ちが軽くなって来た気がします。

最近放映された映画、「犬の生きる目的」(私が勝手に日本語訳タイトルをつけました)

A Dog’s Purpose. を見に行って、たくさん泣いてクラちゃんの事をたくさん思って懐かしいく感じました。 クラちゃんともアニマルコミュニケーションを使ってまた話すようになって来ました。クラちゃんは「ママ、大好きだよ。私もママの事を思ってるよ。ゆっくり、悼みの心を癒して。ママは大丈夫。どんな事があってもクラはいつもママと一緒だよ。」と言ってくれました。(涙!)

こうしてブログにもまた書こうという気持ちにもなりました。

ペットロスようのサポートグループがあることがわかったので、そのグループに行くか、グリーフワークショップをとってみようかと考えてます。英語でのグループでワークショップですが、関心がある人にはホームページ website

 

悼みのためのバッチフラワーレメディー、ホメオパシーなどもあります。またエッセンシャルオイルや、ヒーリングストーンのジュエリーとてもこの時期には癒されます。私が試したものをちかいうちにブログで書いてシェアーしますね。

もし、みなさんの中で悼みをひとりで耐えている人がいたら、シェアーして下さい。一緒に乗り越えていきましょう。

愛を込めて…

Love, Sanae 💖

 

P。S。昨日はクラちゃんの6ヶ月命日でした。このブログ書けて本当に癒されました。

ありがとうございます!

 

 

ゴールデン・リトリバー犬クラちゃんの49日法要

クラちゃんは、私が臨死体験をするほど酷い交通事故の後、まだ車椅子生活をしていた2003年に生まれて来ました。

クラちゃんのお母さんのキンちゃんは私の介護犬として私を支えてくれていました。キンちゃんが天命した後、クラちゃんが私の介護犬になってくれるよう願い、訓練に行くようになりました。でも、静かで恥ずかしがり屋の気の優しいクラちゃんは介護犬にはむいていないかもと2年間の訓練で感じていました。テストの日、クラちゃんは、自分の奥底にある自信を確信したかのように、素晴らしい成果で合格しました。

 

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クラちゃんの49日法要の受付に設けられた写真とみなさんからの寄せ書き。

 

クラちゃんは私が今まで会った犬の中で一番思いやりのある、やさしい、賢い犬でした。車椅子に乗っていた、私の介護犬として、ドアーを開けてくれたり、私が落としたものを拾ってくれたりしました。そして犬の娘として毎日、いつも私の心を支えてくれていました。ビーチにエリック(主人)と行くのが大好きで、私が少しづつ歩けるようになってサンタモニカ山脈にハイキングに行くのも大好きで、ノースフォークのマンザニタにダイブ したり、雪の中でスノーエンジェルを楽しんだり。

素晴らしい13年間を一緒に暮らしました。

クラちゃんが8月1日に天命して、毎日、クラちゃんのことを思って悲しい日々が続いています。

クラちゃんの犬生を敬意し、私たちの悲しみを癒すために法要をクラちゃんのことを知っている友人たちと一緒にすることにしました。

 

クラちゃんは、老人ホームに行ったり、サンタモニカファーマーズマーケットに行ってマーケットに来る子供たちから、オーガニックのりんごを食べさせてもらったりしていました。

クラちゃんが老人ホームに行ったり、サンタモニカファーマーズマーケットに行ってマーケットにいくブログはここ

 

 

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法要のカードを来てくださる方たちの為につくりました。お花はクラちゃんの大好きなハワイのプルメリアと白いハイビスカス。

 

 

 

 

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クラちゃんのフォトアルバム(84ページ)を214枚の写真でつくりました。

 

26人ものお友達が来てくれて、たくさんのご馳走が並びました。私は、ひじきとトウモロコシのお惣菜を作って、エリックはクラちゃんケーキをバニラとアーモンドクリームで作りました。

 

ここからの写真は、友人のクレアーが写してくれました。

 

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みんなのポットラックご馳走とエリックが作ったクラ・ケーキ。

 

 

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受付のお手伝いをしてくれたヴロッカ

 

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みんなでクラちゃんのアルバムをスクリーンで見ています。

 

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まさのさんとりんさん。

 

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クラちゃんの甥のブブちゃんと私とアリソン

 

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ミッシェルさんとミッシェルさんのお母様。

 

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クラちゃん犬家族 Health Happy Pooches (左からブブちゃん、ハッピーちゃん、オロちゃん、レオちゃん、ルミちゃん)

 

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サールとまりこさんそしてクラちゃんの姪のハッピー。

 

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ステファニー、サリー、カリン。

 

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ジョン、キャロル、マヌエラ、ジェシカ。

 

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ビーガン女性に囲まれている、エリック。

 

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みちよさん、ダン、正子ちゃん、陽子さん。

 

 

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クラのパシフィックブルーを歌うところ。

 

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アマンダが瞑想をリードしてくれました。

 

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みちよさんとダン。

 

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みんなで、くらちゃんのことを思ってお線香をあげました。

 

クラちゃんの好きだったウクレレの歌の詩を変えて、”クラのパシフィック・ブルー”と題して、エリックがウクレレ弾いて、私が歌いました。私たちのウクレレの先生が応援で一緒に弾いてくれました。

ドキドキしていた私は、間違えてしまったり、うちのハッピーが正子ちゃんが来て泣いてそれに気がいってしまって、また間違えたりしてスタートは散々でした。それに歌っていたら、クラちゃんのことを思って泣けてしまいました。

でも、きっとみなさんに私の気持ちは伝わると思うので、ぜひ見て下さい。

”クラのパシフィック・ブルー”

Kula’s Pacific Blue!

このビデオでも言ってますが、動物たちも人間と同じように感情そして思い気持ちがあります。私たち人間が動物たちの生命を敬意して、天命した動物家族、天命していく動物家族たちを思う悲しみのこころを健全な気持ちで癒して、慈悲ある人間として私たちが生きていけることを願います。

感謝と愛ある光を込めて、

草千💖

 

 

 

生きるためのヨガ

小さい時から私は見た目は活動的で運動が得意なように振舞ってた。

でも本当は中学の後半から20代の中半までは、とても太っていて、結構怠惰な人間でもある。
1日中、テレビや映画をみてゴロゴロもできるし、自分のベッドをオフィスにしたりベッドで食事もしたりしてた時期もあった。

ただ好奇心が強いのでいろんなことを試してみたいという気持ちがいつもあって(今もある)、
ヨガは試してみたい事の中に入ってた。
1981年、まだ私が大学時代、初めてヨガをその時このサンタモニカ近辺ではひとつだけあったハリマン・ヨガスタジオでトライしてみた。

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初めてヨガをした感じたのはヨガは今まで試したいろんなスポーツとは全然違う事。ヨガをしてみて何かが私の中で変わった。体を伸ばしてストレッチしてくれるだけではなく、体と精神が軽くなったような感じがしたけど、その時はわからなかったので、何故ヨガが好きになったかハッキリしたものはなかった。
ナチュラルハイとは言いたくないのですが、ヨガの後はとにかく気持ちがフワッとして健やかな気持ちになることはわかって, ヨガを楽しんだ。

でもハリマンスタジオにはあまり長く通わなかった。
スタジオが暗いイメージ(私は午後のクラスしか行ったことがなかったので、朝のクラスは違っていたかもしれない)でカーペットの臭いと日本の線香とは違う香の臭いがきつかった事。
そして来ている人たちが自分とは全然違っていて、また先生の言っていることもあまりわからなかったので、自分には合わないと思ってしまった。

その後、ヨガをまたしてみたいという気持ちはずっと残っていて、他のヨガ・スタジオのことを調べたりした(あの頃、Goggleがあれば便利だった…笑)。
自分が住んでいる、サンタモニカ近辺には何もなくって。

1987年、新しいヨガ・スタジオ「ヨガワークス」がサンタモニカに出来たのを見つけてすぐ見に行った。
自然の明るい光と木の床のスタジオはすぐ私のお気に入りになった。
ヨガは私の肉体だけではなく精神も心もサポートしてくれ、
その頃丁度、一番初めの夫との別居生活、父の病気と死、そして犬家族のクロちゃんの天命とチャレンジが続いていたのでヨガクラスに定期的に通って癒されてた。
今、考えるとヨガをしていなかったらどうやってあの時期を乗り越えられたかわからない。
あまり深く考えないでただヨガクラスに通ってとにかくヨガの練習をすることに集中してた。

1992年になって自分の体がだるく、そして微熱が続くようになった。
大好きなヨガもあまり出来なくなって、翌年に卵巣ガンだと診断され、ショックで何も考えられなくなったあの頃。
1989年に癌で亡くなった父親と同じように自分が癌になったことを初めは恨んだり、情けなくなったり、自分を責めたりもした。どうしたらいいかまったくわからなくって、自分が癌になったことを責めるのではなく素直に病気になった自分を認めて養生をしてあげられるようになって間もなく、マクロビオティックという食養があることを知った。そしてその後は、ヨガは忘れてなかったけど、マクロビオティックを学んで自分を癒すことに専念した。

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1994年の夏、マサチューセッツ州のマクロビオティックのカンフェレンスに参加した時にマクロビオティックを学んだヨガ・インストクターのクラスがあることを知ってそのクラスに参加してみて、自分が食事だけでなくヨガを必要としていると教えられた。サンタモニカに戻って来てからまたヨガワークスに通い始め、いろんなヨガにワークショップに参加した。ヨガがまた私の生活に加わりそしてマクロビオティックと一緒に生きていくための私のツールになった。

2001年、私はマクロビオティックを始めて7年以上が過ぎて、精神的にも、肉体的にもとてもいい位置にいた。ステジオMugenというマクロビオティック料理のコミュニティースタジを設立。
そして同じ時期、 マクロビオティックのカウンセラーになる為の久司道夫先生のクラスをマサチューセッツ州のベケットにあるクシ・インスティチュートにまた行って勉強することにした 。

カウンセリングのクラスを習得した後、マサチューセッツ州からカリフォルニア州への帰り道、臨死体験をするような酷い交通事故にアリゾナの砂漠であい、愛犬3匹のうち2匹を亡くした。私は3日間昏睡状態になり、その間心臓が12分止まったと聞いた。
心臓と肺は事故の怪我で機械なしでは機能不可の状態。左側のあばら骨は全て骨折。膝と足首の骨は両足全部複雑骨折。左の足首は切断する必要があるとも言われた。
ドクターは、残念だがきっと私は2度と歩けないだろうと言った。ショックで私は何故自分が生き延びたかを恨んだ。また生きていきたいと感じるようになるにはとてつもない時間、日々、月々、年数を過ぎ越さないといけなかった。ひどい落ち込みと希望喪失から救ってくれたのはその頃、親友だったエリック(現在の夫)、一緒に生き延びた動物家族のゴールデン・レトリーバーのキンちゃんとネコのまいちゃん、友人たちと私のことを祈って下さったたくさんの方々、そして日本の家族。みなさんには感謝の気持ちでいっぱい。

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車椅子に乗っていた頃の私とキンちゃん(右)とキンちゃんの娘(ドレちゃん左とクラちゃん右)

寝たきりのおまる生活から車椅子生活をできるようになるのは時間がかかったけど、2003年に車椅子でも行けるヨガクラスを見つけた。サンタモニカにある身体障害用の車のバンで通えることも調べてわかって、またヨガを始めた。このヨガに通うことがきっかけで歩けるようになる希望がわいてきたと言っても大袈裟ではない。そして1年後の2004年、エリックとの結婚式のバージンロードを必ず歩くとゴールを立てた。今、考えるとこんなにいろいろ調べて前向きだった自分がちょっと信じられないけど、初めに書いたように私は好奇心が強い人間だということが私を救ってきてくれたのかも。2004年の6月20日の結婚式に私はゴールを達成して弟に助けられながら杖(ドレスの一部としてサテンのリボンで飾った)を使い歩いた。

ガンを治す為に始めたマクロビオティックも私がまた歩行できるようになる為に健康な身体を作ってくれ、ヨガはまた歩けるようになるための 筋肉などをつけて、骨を強くする事に役立ってくれた。スムーズに動ける助けと 足や腰の痛みを和らげ精神的にもリッラクスしてくれて、眠れるようになったことは確か。

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ナンシー先生(左)とキラ先生(右)。

長い回り道でしたが、昨年の60歳の還暦を迎えた後、ヨガ・インストラクターの資格をとるコースに参加することに決めまた。入念に1年計画作りをして自分にあったヨガ・スタジオとヨガ講師を見つける事が重要だとわかり、いろいろ調べて(今回はGoglleのお世話になりました…笑)自分の家の一番近くにあったサンタモニカ・ヨガ・スタジオが今の自分には無理なく歩くか三輪自転車で通えて、とてもいい先生もいるとわかった。 身体障害者ようの特別クラスではなく、サンタモニカ・ヨガスタジオの普通のヨガ・クラスに定期的に通うようにまず始めた。初めはヨガ・インストラクターのコースを無理なく受けて最後まで終了できるか心配でした。でもいつもの好奇心が心配する気持ちより多くてとにかくやってみる事にした。

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ヨガ講師最終テストが終わってお祝いのパーティー。

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ヨガ・インストラクター、トレーニングコースのクラスメイトと先生と。

1年間、定期的にヨガの練習に行って、ヨガ・インストラクターのコースにも出席したおかげで、あの交通事故してから一番肉体的に成長した年だった。車椅子生活をするような大怪我をした後もヨガを諦めないでヨガを続けてきて本当に良かった!ヨガが毎日の私の励みになって、ヨガは私にとって生きるためのものだとわかった時の喜び。生きるためのヨガをこれからも続けていきたい。

650 with Nancy and Jamie

ジェイミー先生(左)とナンシー先生(右)

無事ヨガ・インストラクターの資格コースを習得してテストにも合格して、この9月1日(木)からコミュニティー・クラスを教えます。時間は午後12時15分〜1時15分。次のクラスは9月22日(木)時間は午後12時15分〜1時15分。その後は10月2日(日)時間は午後2時半から3時45分。場所は全てサンタモニカヨガスタジオで教えます。料金はスタジオにスペース使用料として一人$5。住所は1640 Ocean Park Blvd. Santa Monica 90405 電話310-396-4040

ぜひ、みなさんに来ていただきたいです。

愛を込めて

草千💖

ゴールを作る!

いろなん事があってから、過去20年以上、1年のゴールを毎年作ってきています。

自分がいろんなことが出来るよう願い、時として自分にプレッシャーをあたえたりしていることに昨年60歳になって真剣に感じました。以前から気はついていましたが、頭の中ではわかっていても中々日々の生活を変えてまで、行動を転換出来ませんでした。

外見の成功ではなく内側の自分の心につながる生き方をしたいと強く感じました。

私にとっては、どんなにお金を儲けても仕事で成功しても私が自分の心とつながった生き方、そして自分の愛する者たちと 心から繋がった生き方をしていなかったら何の意味がないのです。

それで今年の一番のゴールは家族である、主人のエリックと6匹の犬、2匹のネコ家族と一緒に出来るだけ過ごすというゴールをたてました。

 

エリックとクラちゃんのバースデーは同じ日です。

 

Eric with his new Naish

エリックは新しいナッシュのバドルボードをバースデーギフトに選びました。

 

Kula is now 13 so it is very special to us since her mother passed age of 12 and her most of sibling left much younger age so we wanted to give her special gifts.

Kula with her new bed

クラちゃんの13歳のバースデーには新しいベッド選びました。

 

Kula with her new food bowl holder

エリックがクラちゃんの食器をのせる台をバースデーギフトで作ってくれました。

 

Eric with his wave

エリックのバドルボードサーフィン

 

Eric, Oro and Kula

バースデーギフトにエリックとクラちゃんの大好きな海に行きました。(クラちゃんの妹のオロちゃんも一緒に行きました)

 

私のためのゴールはバドルボードを私も試してみるということでした。エリックは3年ほど前に始めていたので、やってみたかったのです。

でも、2001年の臨死体験をするほど酷い交通事故で両足を複雑骨折してドクターからもう歩けないと言われ、おまる生活1年、車いす生活を3年以上していました。長い道のり、ガン治しで始めたマクロビオティックの食養を続けて、フィジカル・セラピー、エネルギーワーク、心理セラピー、バッチフラワーセラピー、アロマセラピー、ヨガ、霊気、鍼灸、指圧、12ステッププログラムといろんなことを続けて少しづつ歩けるようになりました。諦めないでやってきて本当に嬉しく幸せを感じます。

 

My first paddle board with Lumi

初めてのバドルボード、ルミちゃんと一緒に。

 

私が元気で幸せになることがエリックと家族にあげる一番のギフトだと思いました。

そして、日本にいる妹、弟、姪に会いに行けるようにゴールを立て、昨年やっと9年ぶりで会いに行けました。

Eric & Lumi

エリックとルミちゃん。

 

家族と一緒に過ごす事は小さな幸せかもしれないけど、その小さな幸せを大切にしていくことが心の中の大きな幸せになるんだなってわかりました。

だから自分の心を大切に幸せにしていくベストをこれからも尽くしていきます。

Kula's 13th birthday

13歳のバースデーのクラちゃんとビーチで。

 

愛を込めて、

Love, Sanae💖